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アメリカ空軍はA~C型で300機に満たない発注しかしなかったが、西ドイツが大量発注したが故にNATO諸国がこぞってF-104を採用したため、生産機数は2500機近くになった。ドイツのG型は、西ドイツ空軍の要望を多く取り入れた結果、当初のF-104Aと比べ、別機とも言えるぐらいに改良が加えられた機体だった。
我々が、ルーク空軍基地を探訪した1980年2月に、TF/F-104Gが此処に何機ぐらい存在したのかは定かではないが、ルークの58th TTWには、スポッターの資料から延110機以上のスターファイターが在籍していた事が判るので、機体の入替を考えても60~70機ぐらいは訓練に使われていたのではないだろうか。訓練飛行隊としては、69th TFTSと418th TFTSの2個飛行隊だったが、わずか1日の撮影で、シリアル別に23機が確認できたことを考えてもその位は居たのだろう、凄い規模である。やはり、700機近いTF/F-104Gを運用していた西ドイツ空軍のパイロット養成は、相当緊迫していたはずで、多くのパイロットを育てる必要から、訓練機材も豊富に用意されていたと思われる。基地の名前の由来となった第一次大戦の英雄フランク・ルークJr.は、ドイツ帝国との戦いで活躍した英雄(名誉勲章受章)であり、18機のスコアを上げたトリプルエースでもあったが、彼もまたルーツを辿ればドイツ系の移民なので、この基地はドイツとのつながりは深いと言える。
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F-104の基本設計は、ロッキード社の有名な設計技師、後にスカンクワークスでU-2やSR-71を生み出すケリー・ジョンソンであった。彼は、朝鮮戦争でのパイロット達の要望を取り入れ、Mig戦闘機をはるかに上回る機動性と速度、上昇性能を目指した戦闘機として、このF-104の設計を手掛けたと言う。
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↑ 両翼の燃料タンクが無いと判り易いが、F-104には主翼に幅広の前縁フラップがあり、着陸時にはそれを倒して、揚力を補いながら 舞い降りてくる。しかし翼面荷重が小さい主翼の為 着陸速度が極めて早かった。撮影する側は大変である。
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↑ 複座型のTF-104Gは、訓練飛行時3本の燃料タンクと翼下に爆撃訓練用のディスペンサーを1つぶら下げていた。当時の西ドイツ空軍はこの複座型だけでも130機以上購入している。
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↑ ご覧のように機首左側面にある20mmバルカン砲の砲口は、煤で真っ黒に汚れて帰ってくる。爆弾投下訓練と共にバルカン砲の射撃も訓練の重要項目である。バルカン砲はM61-A1で700発以上収容可能なドラムを持っていた。
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配備されてしばらくの間、訓練での驚異的事故率に業を煮やしたドイツ空軍は、射出座席についても当時最も信頼性の強かったイギリスのマーチンベーカー製への変更を望んだ。当初はアメリカ製を譲らなかったロッキード社も最終的にはこれを受け入れ採用した。また西ドイツ空軍も経験豊富なパイロットに限って操縦を認める、デスクワークで暫く操縦から離れたパイロットには操縦させないなど、次々に安全対策を強化したと言われる。
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↑ マッハ2以上を誇るスピードを誇るF-104の主翼は後退角も無く、幅はあるが面積も小さい薄い主翼、付け根の部分の厚さが10センチに満たないと言われたこの主翼の目的は、スピードと上昇力の為であったが、新人パイロットには悲常に取扱いの難しい機体だった。